RK語録33 2010年4月のツイッターより

好きな事を好きなようにやると評価が悪かった私。そういう評価を付ける可能性のある側になった。期末がすぐそこ。だけど、好きなようにやったことを褒めてあげたい

 

同僚の書く、こまっかーい工程表を見ると否定したくなるのを我慢。The Art of Project Managementでも読んでくれ。管理担当はストリームレベルとファイナライズのマネージだけやればいい。縛るとうまくいくものもうまくいかない。

 

前の会社にいたときに、徹底して言われたことは、ソフトウェアにロードマップなんてない!!ということだった。ロードマップってーのは、ハードウェア屋さんが工場を建てるのに凄いコストがかかるので便宜上作るもんだと。ソフトウェア(屋)はお客さんが欲しいという波があるときに出すもんだと。
ところが、今の会社は、ロードマップをすごく欲しがるんだなみんな。2年後にどうなっているかなんて分からないし、定期的に出せばコストが下がるものでもない。みんな何となく安心するだけの効果しかない。
どっちにしろいつまでサポートするのかは表明しているので、途中はいいんじゃないかなぁと思うんだけど。確かに何となく安心はするんだけど、赤帽の表を見て分かるようにしょっちゅう変わるけどそんなもの欲しいのかねと。やはりソフトウェアは需要に敏感に反応すべき。
ロードマップ欲しいと言っている人は、メーカーの匂いがするなあと。

 

例えば、この会社の仲間にもっと貢献したいと思ったとする。しかしそれには会社を離れて勉強する時間やハックする時間が必要だと直感したとする。こういう時、どうすればいいんだろうね。
相当数の人が、集団への貢献には集団のルールを破らないといけないと感じていると思う。
だから、集団のルールを多様性に対応させることで、活性化する可能性はあると思う。最も8割の人は単純なルールを好んでいるのが悩ましいと思うが。

 

昨日は無性に悲しくて、何だろうと思ったら、人嫌いなのに、人間集団について延々考えないといけない現状についてだった。性格が災いしているのかな。自分の進路について、自分の根っ子とはまるで違うことを考えているから、どんどん引き裂かれている気がする。
「お前、すごいな、成長しているよ、だってお前嫌いだろ?」と前の会社の右腕に言われた。言われて気がつく。一方で 退化している と左腕に言われる。最近どっちも私にとってインパクトのある人に2人ずつ言われている。
成長なのか退化なのか。分かっているのは、どちらも正解ということ。それだけははっきり言える。会社の評価が高い人材になることが、生き残る要素とも言えない。週末に聞いた来年度の評価基準を思い出しつつも、あれでプロセス評価オール5になる同僚は持ちたくないと思う。
どんなものでも恣意性がある。どんな人にも経歴がある。だからどんな人にも視界がある。強味は、弱味だ。そういう凸凹の組み合わせをする。皆のベクトルを合わせること、そのベクトルにも強弱がある。余計なベクトルを合わせない仕事はあるが、ベクトルの長さを同じにする必要はない。
ちなみに、視界というのは、経営者も持っている。それを忘れる従業員もいる。
私が否定するのは、私を否定する(ととれる)人。そんなことを思いつつ。

 

ダイエットするには、とにかくストレスが少ない状態が必要。面白いことをやっているけど、ストレスもやや多い状態ではダイエットはできない。
幸せはストレスを相殺できるが、楽しさはストレスを相殺できない。

 

なんで、一番好きな事の目的達成に、一番嫌いな事ばっかり必要なんだろう。

 

とりあえず、どんなよさげなものも2-3ヶ月もすると飽きる。これはなんというか生き物としてのサイクルな気がする。飽きるにあんまり根拠なんてないし。

 

昨日言った一番アレな言葉:エンジニア35歳定年説って、35歳ぐらいになると大学(新卒)の頃流行っていた技術領域が廃れちゃうからじゃないのか。こうして、メジャーな技術と業務知識だけでやっていた一般人だけじゃなくて、面白いところだけを攻めていた逸般人も淘汰される。
残るのは、本当の逸般人と、本当の技術好き。前者は上位1%であり、後者は特定の技術への依存度が1%というような奴。

 

私も70%以上の確率がなければやってみない、50%以上の確率がなければ賭けてみない、という親の遺伝子を受け継いでいる。そんな遺伝子情報をぶっ飛ばしてしまう存在というものはあって、それをやって見事に行き詰まった次第。
ただ、人生は物語のようであるべき、と昔は考えていて、それはより優先度の高い概念だったから、どんな無茶な事も素敵に見えた。最近の自分に一番ない観点はこれなのかなと思う。
どんな凋落が待っていようとも、机をけり倒しておくべき時もあるのかな。