RK語録46 2011年5月のツイッターより

つーか、私がどんなプログラムを見ても汚い、50歩100歩、と思ってしまうのは、先天症か?中学1年の最初の時に 2次方程式を解くという事 が分からず散々苦しんだあたり、何かしら欠如しているものと思われ。何が欠如しているのかは語彙も欠如しているので分からんが。

 

自分の立場をわきまえずに言うが…上になればなるほど、その組織に長い間いる人の割合は考えた方が良いと思う。といってありがちなのが中間管理職ばかり外から持ってくることなんだが。

 

レベル1にさせられるなら、なるけど、レベル1になると、ルイーダの酒場待機に強制的にさせられてしまう可能性が高いのが、日本の(?)難しいところ。昔の組織論からいうと、レベル1にはさせられるものだったのだが…

 

若いころは政党の存在する意味が まっったく 分からなかった。なにやってるんだ、と思っていた。そういう意味で、今の報道も相変わらず政党単位なので、今私のような感想を持つ人もいるんじゃないかと思うなぁ。

サッカーなどスポーツの報道では、個人>チームなのに、政治になると逆になるのが不思議だ。

 

そうか、恐いからか。

恥についての概念は「菊と刀」からそう変わっていない気がする。

 

私が気に入らないのは、リーダーがスーパーマンでないということではなく、高給取りだということだ。上と下で何倍も給料違うというのがよくわからん。…という人をあまり見ないんだけど、私の方がずれているんかね。

 

もう年功はないと思うけど、それでも途中から人事制度を変えて、今まで給料が高かった人の給料を下げるというのは本当に難しい。まあ、私はフリーソフトウェアという世界(概念)に出会えてよかったと思う。

大学行って良かったのか、みたいな考えをややもすれば持ちがちな昨今だが、Linuxに取り組んでフリーソフトウェアに出会えたというだけで、もう十分価値がある時間だった。

そもそも評価制度は給料を下げるためにあるわけじゃない。そこんところは別のしくみで考えなければならんね。

年功序列の崩壊?何それ、な世界もまだまだ残っていると思うのだが、ことITに限ると、年功序列?何それ、な新人も多いだろう。このギャップは凄いよなぁ。

 

そもそもシンクライアントが主役になれなかったのは、HDDやGraphicsの発展に比べて、ネットワークのそれが格段に遅いからかなと。コンピューティングが多彩になり、スマホという形で実現はしたが、パソコンの代替は無理。iPadまでが上限。

 

プログラミングの話を楽しそうにしている。プログラマーだなぁと思う。私にはどこまでいっても白い画面を汚す不規則な文字にしか見えない。たぶん私は文字を音で記憶するので、音にできないプログラムは絵と認識するんだろう。そうするとどこまでいっても最低の絵になる。

 

一時期馬鹿になる薬を飲んでいたせいか、自分の行動が頭の回転スピードに激しく依存していることを感じている現在。大して頭も良くないので、少し悪くすると言動が不審に。今度同じ薬を飲んだらマネージャやってられないという恐れがある。

 

バグっていうのは簡単に言えば人間の認識力の限界から来ている問題だ。人間がプログラムを書いている限り発生する。そこんところ外野に分かってもらえないかね。

というか、たくさんのプログラミング言語があるのも、人間の限界をいかにしてカバーするかという命題への挑戦を含んでいる。特に初期の高級言語。

日本人が英語を読み書きすれば間違える。それどころか日本語でさえ間違える。それに似ている。コンピューターの方がシンプルだがシビアだ。

 

精神構造として、どこに背を預けて戦うかというのは重要だ。職場なら、そこは定期的な行動を期待されているのか、すぐやることを期待されているのか、最小コストでの最大効果なのか。もし矛盾した2つの仕事を抱えた組織があれば、それは分割した方が良い。

表面上無駄に騒がしくしているように見えても安定した職場というのはある。本当に騒がしいというのは、立脚点が定まっていない結果何をやってもイマイチ達成感のない状況の継続の事だと思う。

ただまあ、そのグループが持っている立脚点が分かったところで、納得できないこともある。

アフリカの紛争とかをニュースで見ていて、国境を引き直せ!と思ったことありませんか。人が脱落しそうな組織もまた混然一体を指向しすぎだと思います。

人を脱落させてしまうと、雇うのに極めて高いコストがつく。人材系会社がたけのこのように沢山できて成長してきたのも記憶に新しいね。

…高いコストというか、往々にしてビジネスが回らなくなる程のダメージということもある。

Newsを見ていると、大きな会社でもこの点あんまり変わらないと思われ。

人の引き抜きというのは、長い目で見ないと結果が出ない。数値上にただちに影響はでない。だからこそ有効。引き抜かれた方は、気がつくと打つ手がなくなっている。

 

他の先進国と異なり、PCが使えない人口が40%いる日本。ケータイでメール、を仕事ではしないだろうから、結局その人たちは電話してくる。インバウンドの電話は専門のオペレーターに任せたらどうかな。生産性があがると思う。

 

昔はKYなのを補うため、わかりやすいキャラクターを演じていたが、最近はそーいうのやめた気がする。

 

男女間の均等の話は、全く駄目。極端に落ち込むので、私に振らないでください。子供のころ、暴力を振るう能力がなかったことにどれくらい劣等感を持ったことか。下町とはそういうところです、恐らく未だに。男はむかついたら相手を殴るのが正当です。そういう人も何十万といることを知っている。

自分を棚にあげていうと、私が子供のころに見た男の子の一般的な優位性って殴ったり暴れたりできることしかない。他の能力はまるで女の子に敵わない。だから、大人になってもそうなっていても、ちっとも不思議ではない。そんな足立区育ちな私の男女観からすると、男は男で考えるしかない。

とんがってうまくいった、という定説を良く聞くけど、それって全員男性だよね。他の全てを捨てても、敗北を認めても、一つでも優位に。そういう考えに収斂して、ようやく男性は安寧を得る。どこもとんがれなければ、どうなるか。

だから、とんがっている男性はたぶん幸せなんだと思う。互いの凄いところを認めあう行為は、だからお互い良かったね、ということでもある。

別に私みたいに、いろんな習い事に通わされて、どんなことでも平均以下で、ダメな奴だ、って思って反抗期が来ない少年時代を過ごしてもいいけど、最終的には、何か一つ、修羅のような時を過ごして、突き抜けないと男に平凡な幸せは来ない。その一点だけは覚えておきたい。将来のために。