RK語録29 2009年12月のツイッターより

誤解されやすいのは、一生懸命考えているので、決断できないとき。待ってくれ、と直接言う/言われると、安心する。

 

業務を効率化したいと考えても、なんのためにそんな労苦をするのか/させるのか。お金貰っているから当たり前、というのでは大抵の人は他に移るだけだ。移ろうと思っても移る先がさしあたって見つかってないから残っているに過ぎない。そんな状態を許すべきではない。

 

前々から気になっていた 野村再生工場 を読みながら散歩した。途中で何度か泣を堪えなければならなかった。感動したのだろうか、くやしいのだろうか。
やるべきことは沢山ある。この本に書かれていることもやらねばならないと強く感じるが、その前に意志疎通をないがしろにする、一部の人のスタンスを叩き壊さないといけない。じゃないと何やろうにも一歩も動かすことができない。日本人とは特にそういうものなんじゃないかと思う。

 

即戦力を採るのではなく、即戦力にならざるをえないようにする。…いろいろメリットがある気がするのでつぶやいておく。
まあ、境遇によりけり。

 

今日は来年から担当する部署の過去3年の暇忙36ヶ月分をBugzillaから読み取って折れ線グラフにしてみた。最近いちばん忙しい時期はどうであったか。今がなぜ収束しているように見えるかが私にも分かった。改善への一里塚として。
たいへんじゃないのと言われたが、こんなの毎月やりませんです。せいぜい半年に一回、数時間でできる簡単なお仕事です。
こういう統計ってとらないと何年か経つとそれがふつーとか思ってしまう気がする。まあいい加減な数値が並んでいるわけだが、不可能と思っていたスコアが過去に達成されていたことに気づいたりする。
残念ながら数学も経済学もだめなんで、まあてきとーなところでやめとくしかないっていうか。
ああいうデータはまず自分が理解するために作るわけだが、上司からのツッコミに耐えうる精度にすべきかどうかでいつも迷う。好きな人は好きなんだよね?。

 

毎月方針を変えたりする暇人にはなりたくないの?。

 

会社Blogにしろtwitterにしろ、気を許して書けなさ過ぎなのが敗因。むしろ文章として残るもののほうが、日常の会話より敷居が高い。であれば広報担当者が仕事として書いた方が良い。
あるいは広報担当者がレビューしてから載せるようにすれば、事故は防げる。気軽に自己責任はできない。

 

グラフィクスやサウンドといった分野は、人の精度の限界に近づきつつあるが、パソコンの操作については、単純なオペレーションでも今だファミコンにすら快適性で劣る。
……というのに、3Dエフェクトとか要らないから。
ウィンドウはなぜ開かなければならないか。開くのにかなりの時間がかかるからである。プレビューなんてもってのほか。

 

まあ、確かに1年?2年のときはダブルスクールして情報処理2種と1種とったりしたことを考えるに、大学後どうするかは大学1年の時からなんとなく考えていたというか。あの時代情報処理2種とってればどんな方面に興味が向いても役に立つだろうというのは漠然と考えていた。
fj.* が大きな影響を与えたのは確かだな。こういう人たちに近づきたいというのは憧れとしてあった。今なら明らかにblogやtwitterの有名人がこれにあたると思う。
確かに、就活は「くるべきものはきた」という感じだったが、それまでにネタは揃っていたから、あとはテクニックの問題だった。「卒業論文書いてないよね?」に対して「15万文字ほど本を書きました」で切り返すとか。
15万文字とは数字の魔力だが、どれくらいのページになるか。実は大したことない。学術論文の苦しさは知らんが、趣味のことに対してそれぐらいの本はこつこつがんばれば書けるはず。
いろいろと幸運だったのは確かだけど。
残念ながら、私は大学の勉強をがんばって、就活も苦労しなかったというパターンじゃないのだが、振り返るに、就職に油断しないさせないために多くの影響を回りから受けたのは確かだ。普通なら大丈夫、と思わないことだ。普通と思ってしまうといつの間にかダメダメになる逆行エスカレーターだ。
一つのすごいトンガリって、一般人にはあんまり理解できなかったりする。だから学生として優秀な人ほど割を食ったような感じになる。
なので、すごいトンガリを採りたいなら、本来は一般の人に評価させるべきじゃない。ということになる。
某社のように、CSTで生活しているトンガッタ人を採用しようとすると苦労する。一般人には理解できないが、IT系エンジニアからすればCSTで生活するなんてむしろ論理的に正しく、まじめに人生を生きている人なんだと感心する。

 

目標が、だめだ。言い替えると、夢、がダメなんだろう。岡田監督の行っているような目標、皆が夢見てしまうような目標。しかし、なぜか夢は金食いだと思われている。そこが一番救えない思想だ。
皆の夢の実現が客の不満を解消していく。そういうものでなければならないのではなかろうか。
しかし、そういう人を見たことがないんだよ。過去の社長に。まあ、全部潰れているけどさ。
予想は自分がどこに向かっているか知るために立てる。その通りにやるために立てるもんじゃない。それは分かっているのだが、他人に話すときにそれを理解してもらえているのか、自分が理解した上で話しているのか、少し心配に思う。

 

ゆるければ良いってもんじゃない。息抜きレベルならいいが、ゆるい態度になってしまうと、ゆるくない態度ができなくなってしまい、却って面倒臭い人生になってしまう。私はそーいうめんどくささは嫌いだ。しかし基本ゆるいけど。

 

しっかし、財務用語を出してくるのは勝ちなんだろうか、負けなんだろうか。
狩猟系の、ちまちまと最適化してきた稲作現場の全てを破壊するような言葉を聞くと、吐き気がする。だから、そういう用語の全てが悪いわけではないのだが。
狩猟系もいいが、それは農耕現場を荒さない限りにしてほしい。農耕だってそれなりに楽しいんだ、計画通りにきちんと耕させて欲しい。

 

一般から意見を上にちゃんと上げられるのかどうかで悩んでいる。そうだ、これだな、歴代が引っかかっていたのは。と思った。ただ、敵は上ではなくて、上の上だ。上の周囲の人、とも言う。
スピード、とはセンスに基づく判断を大事にすることであって、センスがない領域で時間切れでGoしてしまうことではない。とも思うが、両者の区別は難しい。
誰がどのくらいこの場に愛着を持っているのかわかれば、愛着のない雑音は排除できるかもしれない。しかし一般にはそうではないので、自分から遠い人ほど雑音として聞こえる。
そして、私に取って一番遠いのは、上の周囲ということになる。これが、コミュニケーション上の最大のリスクなわけだが、さてはて。