いじめが発覚すると校長先生の退職金が減るのか…なるほど。あのう、もうそういうのやめにしませんか。
まあ、学校でいじめが起こるということ自体、先生をいじめているということだというのは分かる。今は。対処能力を期待するのは難しいので、もう起きていない所に転校するしかない。
それから、いじめられる奴はその子にその要因があるのは、多分あってる。今となってはその要因を取り除くべきだったか否かは分からない。分からないが、あの親がそう思わなかったんだから、要は子供の世界ではダメというだけだったんだろう。
効率よく仕事する、させることが効率よくイノベーションを起こすことではないんではないかと。インターネットのストリームと、脳のシナプスにとって、「ケジメ」という習慣は効率良いとは限らんなと。
周りを見ている限りでは、仕事の効率が良すぎるというか、成果を上げすぎる人は、面白いアイデアなんか持ってない。分担が必要。だからこそ、会社というものが生きてくると思うのだが。
待遇か。この文字を忘れていられる間は幸せです。経営側の悪知恵を色々考えてしまうのはつまらんというか、その悪知恵がブルーカラー統制論に基づいている気がしてならない。職位と給料が連動するのをまずなんとかせねば。
両側とも良くする改善策は絶対ある。2-3日考えれば出てくる自信はある。でもそこまでの思い入れはないというか。なんか I/O のバランスが悪すぎてダメす。信用限度額いっぱい貸し出し中という感じなんですけど。
うちの事業部の効率を上げる方法を提案したことがある。多分、人件費そのままで社員も会社もそこそこ幸せになる。しかし、社長が定義するデキる社員像と成長する会社像とは真っ向からぶつかるし、なにより自分が不幸になるので止めといた。現在の所、下策。
私のようなヤワな奴じゃなくて、もっとタフというかいい感じに抜けている人がリードするなら、効果はあると思いつつ。
会社の目的にそぐわないモチベーションは無理に要らないんじゃね?今の日本はそれを別に発揮できる場もあるしさ、とここ数日思っていたが、某書を読んで、似たようなことが書いてあったのを見つける。というわけで、某書をもう少し読んでみよう。
ベクトルが合ったときの効率は凄まじいということは、よくわかっている。でも大半の人は合わないんだよ。もう20年来、両親からそんなことを言われている気がする。だから、Jobsが言うように、個人としては、探すのを決してあきらめないことなんだろうな、とは思うのだが。孟母三遷。
言葉ってTPOあるんだけど、それを全て理解できている人は、いない。絶対いないかもしれない。誰もが言動は完璧でない、という当たり前のことを皆忘れている。
更に言えば、全員に適合するような表現というのは、おそらく存在しない。政治家の人が一番それをぎゅっと考えているんじゃないかと思うが、それでも「失言」というものがあるんだから、世の中は難しい。
誰に向けて言ったのか、という情報をマスコミは切り落とさないで欲しい。
それを切り落とすから、ゴミ になってしまうんだろう。
オープンにする、とか情報共有を密にする、というけど、それはそのまんま流すことじゃなくて、加工が入る。なぜなら情報の流し元も加工している。再構築しなければ危険だ。……面倒だからあんまり頑張らないけど。
“国家戦略室があるのに国家戦略がない” という書き込みをどっかに見かけたが、戦略室なるものがある集団には戦略なんてないです。なぜなら、上が戦略を持つのを忌避している(ひらたくいうと嫌いだ)から、スケープゴートとしてそれがあるのです。
戦略って、トップとせいぜいその全幅の信頼のある参謀が好き好んで立てるもんです。それ以外の戦略は立てても無駄が多い。トップに嫌われるから。
BIになると、社会全体の 平均 はゆっくりしたものになるだろうなあ。BIだけでは満足できないから、働くことは働くだろう。今の半分-2/3ぐらいで。後は好きなことをする。ただ、好きなことがなくて、社会に生かされて来た人はつらいことになりそう。
いや、なんつーか、BIだけになるケースと、今まで通りに働くケースに大きく2分されそうではある。当面。次世代では変わってくると思うが。
無料で提供しているもののサポートを求めるという勘違いは、もう日本のコンシューマーからなくなっただろうか。とFREEの出版を横目で見ながら思う。
ある意味、食中毒と構造が同じなんだが、無料だろうと、迷惑を被ったという考えのほうが勝るということだろうと思う。しかし、たいていは、クレームを付けてくる人以外は迷惑と考えていない、というところが迷惑だ。何を以って毒とするかはもう使いかた次第、受け取りかた次第という面が強い。
たぶん私が一番問題なのは、自分の死に様を大学時代に固めちゃったことだと思うな、と改めて思った。逆算するにせよ嶮しすぎるんだよね、まだ墓しか確保できてない。はー。< ほんとにかめたんはconnecting the dots だよねい。
将来が描けなくて困る人は多いが、描きすぎても困ります。みなさん気を付けましょう。
将来の予定を立てるな、ムダだ、というのは良く聞くんだけどね。すごく。私が知っている身近な成功している人を含めて。多分、予測不可能な事に頼ったりすると運を掴めないというか、幸せにならん、幸せを感じない、ということだと思っている。
今までで一番短い指示は「なんとかして」だった。一番短い報告も「なんとかしました」だった気が。事後説明は遮られたので。人間観察に優れた上司は何やってくるか分かるので説明要らないらしい。ああはとてもできん。
やっぱ、14inchぐらいのブラウン管テレビチックで、アナログのかちかちって回す奴がついていて、未定義チャネルを開くと設定画面になったり。…うわー、クラウドテレビ欲しいかも。(妄想暴走中)
多分480iぐらいあれば十分だが、問題は「ハードウェア」が欲しいということだ。パソコン上で動いても面白くない。それは作れるんだしもうあるだろうし。
BBCニュースと、中国のドラマを “チャンネルひねって” 観たい。
グローバル広告つきでストリームすればいいじゃん?
機会は、へたくそで掴めてない。下手でも掴めていたのが多分誤りの元なんだろう。なんて思ったり。
手をさしのべてくれた人にはとても感謝している。残念ながら連絡がとれない人もいる。
才は天与ではない。地に付いている。努力家である。ただし努力の方向性が非常にとんがっている。というような[鬼]が検察に捕まったり、追い回されたりする。いいのか悪いのかは分からないが、嘆かわしい。…私のようなトンガリが足りない奴が徒党を組むとそういう結果になりそうで恐い。
…というようなことを、富士通に学ぶ。一回、実に日本限定の失敗をやらかしただけ、という人が多くないかなぁと。
更に言うならば、そういう失敗をやらかす人は、大抵外と強い繋がりがあって、超ドメと極めて相性が悪いように思う。
「垂直統合だから時代後れ」ではない。ただまあ、強烈なビジョンというか連帯使命感がないと、垂直統合は簡単に腐っていく。ちょうど良いサイズというのはあると思うなあ。
大学2年だったか、インターネットに惚れ込んだときにWebではなくOS方面に行こうと思ったのは、Appの方がぶれ幅がでかいから、ずーっと全力疾走していなければならなくて、そのうち死ぬだろうと思ったから。あとネットワークってどうも音痴だった。
今思うに、お客以上に先回りして、ぜーはー言うのはやはり大変だろうなあと思うから、アプリ屋にならなかったのは間違いとは言えない。しかし日本のSIerはWinかLinuxかどっちかの世界に閉じこもるという都合のいいことをしている面もある。学生時代にそこまで考え付かなかった。
更に言うならば、LinuxでもJavaなのかAJAXなのかLLなのか、それとも言語の依存しないソリューションオンリーなのか、などいろいろな世界に閉じこもり、それぞれの主張をしているようだ。組込みの流れもあるしね。
OSが昔ほど偉くなくなったのは確かだと思う。Rubyが動けばどんな環境でもソリューションを提供しちゃう、というノリのところもあると思う。
ChromeOSが目指すように、インターネットを中央に置いて考えてみると良いかもしれないなあと。ただ、ChromeOSはGoogleサービスのための端末OSという感じだから、なにか少しずれていると思う。が、その少しずれているから多少は儲かるのではないか、という冒頭に戻る。
日本の大手SIerやメーカーにシステム構築を頼んでいるユーザーは、あのすごい陣容を見ているのだろうか。本来北米OSベンダーが責任をもってサポートしなければならない内容を、自分達でせっせと検証・解析している、あの猛烈なムダ風景を。これも学生時代に考えられなかったことだ。
サポート料金を上納しながら、しかし内容がアレだし返事も戻ってこないから、ほとんど自分達で解析しています、と言っているときの皮肉な笑い方。忘れられない。もっと我々に力があれば、これら複数のベンダーのをまとめて受けることで、共有知(地)として劇的に日本のITコストを下げられる。
…というようなことを、多分目指していた人がいたんだけれども。ね?
残念ながら、それが儲かるサイクルかよりも、自社の陣営の人数を増やすことが陣取合戦に繋がるという考えな気がするんだな?。そこからサポート料金をぶった切って、独自CentOSに行かないところだけは抑えているというか。いいのか悪いのか分からんけど。
多分、日本国内限定で戦っているプレーヤーでは、無理。どうしても思考が陣取、我慢比べになってしまう。世界全体で見れば、私が死ぬまでの間に、今日的な成長モデルが通用しなくなることはないのになぁ。
昔、iMacが出るかでないかの頃、USの某ソフトウェア会社が、MSはほとんど皇帝のようなものだ、と言っていたことを思い出した。その頃は、まだまだOSがあるからOfficeがあり、というようなケイレツがあったように思う。
あー、もっとも、私はOSの方に行こうとしただけであって、そのOS屋にはなりきれませんでした。
ユーザーのライフスタイル的には、iModeが出た時点から多核化してきていて、そろそろ核というのものも見えなくなってきている昨今。ソフトウェアは、再び面白くなってきている気はする。いつPCが新社会人の必須事項でなくなるのか、楽しみです。
まあ、業界によってはOSにもともと金ほとんど払ってないし、全体的に金払わないようになっている傾向はあるんだけれども。もともとは偉かったんじゃないかなあ、と思うわけです。偉かったというと語弊が激しいなら希少というか。
「その国のパソコンOS(やソフトウェア)はその国の人が開発したものを有力な選択肢として持つべきだ」と13年前の私は持っていたようだ。今は英語が喋れない人も「ガラパゴス」という言葉を使う。私は英語がマトモに喋れないので、そんな自らを二級市民化する言葉は恐くて言えない。