2004/12/07 (火) 伯亮春秋記 オープン
伯亮春秋記 がオープンしました
2004/12/07 (火) 大型ねこ暖房免許取得
昨日、婚姻届を出し終えた。
相手は大ねこのみーちゃんである。
東北の冬は寒いので、暖房は必須なのだが、みーちゃんと結婚したので、大型ねこ暖房が使えるのである。今年はねこ暖房で過ごすことができそう。
まだ結婚記念イベントが続いていて大変なんだけどね。
2004/12/07 (火) ねこ暖房
ねこ暖房についてのリンクをみーちゃんから貰いました。
http://www.kinyobi.co.jp/uramadoEntries/neko/15
みんなでねこ暖房。ごろごろ。
2004/12/08 (水) 石油ファンヒーター
今日は石油ファンヒーターを買いに行くのだ。
石油は最近高いんだけど、電気のヒーターは効きが悪いし、家が20Aなのを30Aに上げないとエアコン2台あるのに同時に動かせないし、さらに1台作動中になにか使うとすぐ落ちるし、居間のエアコンは暖かくならないし、夏はエアコンは殆ど要らないほど風がびゅうびゅう吹いているし(だから冬寒いんだけど) で、30Aにあげるのもったいないし、
というわけで、石油ファンヒーターがお得かなと思うのだ。
今日買うと10日に到着するかな。うむ。
2004/12/09 (木) 邪魔なもの
相手への思いやりがために、自分の志を忘れるな
最近、他人を思いやる、という回路が働くようになったのだが、これが実に厄介だと感じている。一番厄介なのが、何が正しいのかよく分からなくなるのだ。
思いやる、ということは、相手に感情移入する面がある。と、相手にとって都合のいいこと悪いことを考えてしまう。すると、自分が今まで考えてきた正しいこと正しくないこと、というのをすっかり忘れてしまう可能性がある。凡人の僕ならなおさらである。
TPOに応じて(人格を使い分けろ)なんてことを要求する奴がいるが、そんなことを考え出したら、もう、人の何がうらやましかったのか、人生で何を達成したかったのか、なんていうことを忘れてしまう。そういう奴に限って、人生の目標は金を稼ぐことだったりするのだ。こういう奴は自分がどんな人間として過ごそうが関係ないのだから、もしあなたが彼等の部下で、良い社員になろうとこのようなことを心がけようと思っているなら、即刻やめるべきだ。いいように使われて、結局自分がやりたかったことが少しもできないことになるかもしれない。
……などと最近考えているので、ここに書き留め置く。
お金を使わないことが幸せになるとき
彼女の行動を見ていて、強く心に残るものがある。お金を使わないで過ごすことは、基本的に美しい行為だと思う。最近欲より美しさを気にするようになった。あれが欲しい、これが欲しい、というより、あれこれ欲しいと思わないで済んでいるということに清冽なものを感じる。我慢してそうするというわけではない。我慢はしない。なんというか、必需品といわれるものの幾つかは、だまされただけな気がしてきたのだ。時代に付き合わされたのかもしれない。いたずらに命を削っている気がする。
僕は昔から「欲は膨らむだけ膨らむものだから、可能な限り引き伸ばして人生の後半に持っていったほうが良い」と思ってきた。今結婚していわゆる幸せな生活を送るにあたり、物欲に関してはますます減退した気がする。
僕の知り合いには結婚した人もいるのに、この考えに同調する人はなぜか一人もいない。そんな考えだと苦労する、と言う人もいる。まぁ、そうなのかもしれないが、そういう考えで過ごせている今はある意味幸福なのだろう。買いたいものよりやりたいことが先に頭にないと、人間一生幸せになれないのではなかろうか。
2004/12/10 (金) 明日は記念祝典
うーむ、閉式の辞を考えてない。考えないと。何がいいかなぁ…
皆様
本日は私たちの記念すべき節目を共に祝していただき、有難うございました。
まではよいとして、その後が思いつかん。うへ。
2004/12/17 (金) 閉式の辞
食事会は二箇所でやるのだけど、用意した原稿はこんな感じです。
一回目(11日)は新郎(僕)の親戚中心、二回目(18日)は新婦の親戚中心でした。
実際には、第二回の閉式の辞は新婦が喋る予定なので、この内容は二次会で喋る予定です。
皆様
本日は私たちの記念すべき節目を共に祝していただき、有難うございました。
==[[第一回]]=================
私どもは私が29になった12月6日に婚姻届を出しましたが、「三十にして立つ」という言葉もございます。虚名を憎み、真の名誉に値する、努力を必要とする時期に、先達の言葉を拝聴でき、大変ありがたく感じています。また、この食事会の開催に協力いただきました友人のXX君、XX君、そして弟のXXには、大いなる感謝を表したいと思います。お返しができる時が来ましたら、喜んで協力させていただきます。
==[[第一回]]=================
==[[第二回]]=================
私はXXという、ちょっとだけ世の中を住みやすくするための運動に対するささやかな貢献を職として続けるために、XXからXXに移住したのが2000年の8月の事でした。それから4年余りになります。この間、私なりに必要と思われる活動をひたすら実行してきたつもりでしたが、正直申しまして、2000年当時に想定した最も悪いパターンに陥っていたのかもしれません。
そんな時に、私を良く理解して話し相手になってくれたのがXXさんでした。よく、長男と長女は性格的にかみ合いにくいと言いますが、私どもの場合、お互いに譲れないところがあるということを理解し、逆にそれを尊重するべきであるという意見の一致を見たことがよかったのだと思います。
XXに関する私の迷走はまだ続いていますが、XXさんとの結婚は、才徳に優れない私が後に悔いのない生き様を伝えるために、どうしても必要だったのだと思います。
==[[第二回]]=================最後に、一年が皆様によって幸多きものになることを祈願いたしまして、閉会の言葉とさせていただきます。本日は有難うございました。
2004/12/20 (月) 子供の中等教育は友人によってされるもの?
最近高校生の教師が女子学生にセクハラするというような記事が見かけられているが、実際にはその逆も多いらしい。つまり、ちょっとでも精神的な苦痛を与えるようなことをすると、教育委員会にセクハラされたと訴えると平気で脅す女子学生がいるようなのである。
子供の(中等)教育に必要なのはよい友達だという思いをいっそう強くするのであった。うーむ。
だがしかし、加えて言うに、「そういう子供の親はやはり駄目」なのだそうだが。
私は東京の下町育ちなので、そういう荒れはある程度知っている。親が私に中学受験させたのも、「お受験」などという言葉ができる前の話で、要するに行く予定であった中学が酷く荒れだして手が付けられないようになったからなのである。教育パパ・ママであったわけではないと思う。
多くの進学校が東京北東地域の教育程度が低い地域から通える範囲に集中しているのはそういう理由が大きい。(御三家筆頭の開成とかもそうですね。)
宮城県においては、仙台市内の公立校は結構真っ当だそうだが、最初に出た話は宮城県内の某高校の話である。
こういう話を聞いていると、学習内容以前の問題があると思うのだがどうだろうか。
2004/12/21 (火) 隠しておいたほうがよいもの
先ほど、社内全員に届くメールアドレスで私と妻の写った写真が流れてきて、その直後、同僚が言うには
「プレゼントのお金は社員みんなで出し合ったので、御礼をしとけ」
というのであるが、、、
どうも釈然としないのである。
私は今回会社の人には公式には結婚について何も言っていないのであるが、やたら煽られたり、プレゼントを受け取ったりしている。
公式にはなにも言っていないのであるから、何もしてくれないのが一番正しいと思うのだが。
私は全く怒らないといってよい性格であるが、憎むものに対して激しい反発したり、何十年経っても怒りが収まらないことがある。
今までにそれらに当てはまることは2つあって、一つは小学校4年のときに無実の罪で晒し上げした先生、もう一つは徹底的に叩きのめすことを止められない今の社長である。怒ることと叩きのめすことは別だということを認識できない奴は少なくとも尊敬の対象にはならない。畏敬と畏怖の別とも言えようか。
うちの社長は自分を織田信長に喩えているようであるが、歴史の語るところ、明智光秀だけでなく、羽柴秀吉にも精神的には裏切られているということを忘れてはなるまい。徳川家康陰謀説もあるぐらいである。
#同じガキ大将な性格ならむしろ劉邦を見習えと思うのであるが、無理だろうなぁ。
そんな奴に祭り上げられる身にもなってほしい。すごく不快である。
とりあえず今日メールを出すのは気が立っているので止めておこうと思う。
#明日まで遅れても文句を言い出す人はいないだろう。
とはいえ、結局のところ、そういう奴から完全に隠蔽できなかった自分が至らないというのが結論になろう。
一方、親友以外にほぼ完璧に隠蔽している妻の手法は見事なものである。慶事は黙す方が賢いということであろうか。
【追伸】
友人といえる同僚には教えたのだけど、そのほかに言うなと念押ししたにも関わらず勝手に拡がりまくりました。一度徹底しておいたほうが良いかも知れないと思いつつ。
私の親友はちゃんと節度があったのだけど、どうもこの会社の人は駄目っぽい。
2004/12/29 (水) 来るべき年
(なんか、このページのカウンターがにわかに多くなっているのだが、何故だろう?)
来年は私にとってどんな年になるのだろうか?
つらづらと考えてみる。
趣味について
今やっているLinuxは細々と続けるとして、モバイル端末(とゆーか、携帯電話)が今のところ殆ど使っていないのを少し研究したいなーと思う。濃い知り合いの多くは動画をエンコードしたりポータブルプレーヤーで持ち歩いたりすることに興味があるようだが、私はそれらに全然タッチしてこなかった。どこでもいつでも動画という目的が見当たらないためだ。(動画は大いなるレジャー・リラクゼーションではあるものの、私は本を必ず持ち歩いており、いつでもどこでも本を読んでいるので。)成り行きにもよっては、動画の持ち歩きをしてみるかもしれないが、とりあえずモバイル端末の可能性の研究という範囲で括ったほうが面白そうだ。
あと、目を使う仕事をしているのに目を使う趣味が多すぎるのも問題だ。体の他の部位を使う趣味は無いものであろうか。
仕事について
岐路である。
実際のところ、今の会社で面白いことをやるのはかなり難しいと思う。何かといえばお金がない、という言葉が出てくるのはもういい加減疲れてしまった。もう一方の会社では、財政上の問題点は見当たらない。しかしながら、大所帯であり面白いことができるわけではない。その確率は決して高くないと思う。ただし、現状技術者としての能力を磨くことについて非常な不満があって、それらが満たされるのであれば、多少のデメリットも致し方ないのではないかと考え始めている。ノーネクタイ主義を取り下げてもでも、技術者としての自己目標に対する遅れを取り戻さなければならない気がする。
新婚生活について
彼女は来年度からなんと就職&単身赴任してしまうので、しばらくは単独行動が多くなる。彼女にとってどのような体験になるのであろうか。一つだけ気にかかる点があるとすれば、悲しい気持ちになったときに、地理的条件が似ている、前の彼氏を思い出さないだろうかというか(笑) 彼女は当時叱る側だったのだけど、今度は頼る側になるわけで。過去の出来事の韻を踏んでいるような事象なので、妙に突っ張ったりしないか心配です。で、そういう切り離された自分はどうなのかというと、僕は過去一人だったので、多少ブルー入っても彼女ほどじゃないと思うのだ。
まぁ、とりあえずこんな感じ。