RK語録38 2010年9月のツイッターより

うつ病で苦しんでいる人には、日帰り温泉でいいので行ってみることをおすすめする。自己閉鎖状態を具体的に形から打破していくことは有効。

 

新卒新卒、っていうけど、新卒採用するなら大卒じゃあ遅いと思う。せめて高卒の年齢。大卒なら既に何らかの成果が出ているか、新卒採用なしの会社に申し込むぐらいの勇気がなければ
…と思うのは、若くからやっている人が輝いている例が多いから。

 

和差算なら一瞬で分かっても、二次元方程式を理解するのに数週間かかったという時点で、脳の構造に合っていない何かがあるとしか思えない。私の中ではこの2つは別物らしい。こういう思考法の違いに関する研究というのはあるのだろうか。
ちなみに、ニュートン算も私はできた一方、微積はニュートン算みたいなものという認識しかない。…この違いはなんなんだろうね。
とりあえず分かっているのは、イメージ認識能力を使う項目ほどよくて、論理認識能力を使う項目はまったく、ダメ、ということかなぁ。

 

毎日毎日を恥ずかしくないものにしていこう。というような趣旨の事を、成功者は皆言う。今死んでもいいようにということはかつて思ったし実践した。しかし、自分の目指した物が既に誰かによって実現されてしまったら、どうするんだろうか。これに明確に応えてくれる本/人に、まだ出会ったことがない。
思ったことが実現されるなんてまずない。流れにタイミングを合わせられることこそが全てだ、という普通に継続(≒成功)されているIT社長たちの言葉。同様のVCの記事を数日前に読んでいるので確かだろう。これを聞くと、エンジニアとして生きて幸せだったのか、誤りだったのか、分からなくなる。
私が一番やりたかったことは、他人が実現したので、私の人生は終了しました、という論理はダメ過ぎる。
4次元の罠というか、実現しても崩壊することはあるので、再度実行役が回ってくる可能性はあるのだが、しかしそれは辛い道のり、超然として時を待つのは。
ストレートに達成を目指す人の道のりは、大体分かったつもり。もちろんノウハウは全く無いのだが。で、自分にそれらを少しでも適用できないかというと、、、ここからはもう少し考えようとしているところ。なので今日は熱で死にかかっている。
つまり、私は外向的ではないのにもかかわらず、同じ人といると膿んでくる。それでそれなりな待遇なのにもかかわらず、色々と理由を積み上げては転職しちゃったりする。なんで、昔の会社の人とは仲良くしたい気まんまん。このサイクルをなんとかしないとと思い勉強会も出るが、人数多すぎで厳しい。
勤めた会社が2社ほど滅亡しているが、いづれもすんでのところで逃げている。今思えば滅亡を経験した方が良かったのか?! しかし Linux の仕事が無くなりそうだったからなー。
学生の頃、茨の道、茨の道、と周りからも同志からも言われたが、楽しかった。茨が途切れた後の方が、炎天下の道という感じだ。

 

今でも同じだが、エンジニアになった最大の理由は、首輪(ネクタイ)をしたくないからだ!
ネクタイしたくない+体力ない+数学(物理)の公式が(地球に存在するのが)キラい+芸術の才能ない(確認済)→今の自分。
SE 1年で辞めた表向きの理由は、Windowsに味方したくなかったからだ、としているが、裏の理由は、毎日ネクタイしてうつだった、というところではなかろうかと。

 

多分、中学・高校・大学受験にもいいことはある。本番力がつく、あるいは本番力というものの存在を信じるようになること。

 

この国では、あまりにレアになってしまった非合理は、温存される傾向にある。合理って、所詮時代に左右されるもの、との考えかな。

 

今更言うけど、残業って会社側から見た言葉だと思うんだ。個人が使うと何か位相が違うと思う。

 

Linuxディストロを始めた当時は本気でクライアントOSのシェアグラフに堂々と乗るぐらいの気でいたし、売った本数だけならベンダ別で瞬間最大で月間でMacOS Xを抜いたこともある。けど、結局続かなかったなー。
深夜帯だったけどテレビCMもやったし。ほとんど偶然みたいなものだが。
理由は、まあ、沢山ありすぎて挙げられない。
本気で第三極を作ろうとするなら、せめてubuntuの人のように連合を財力で成すぐらいの勢いがないと。政治力でもいいけど。どっちにしろ今の日本では無理かな。

 

Webエンジニアの話って、セミナーとかでさんざん聞くんだけど、なんか面白くない。ロジックの美しさを測る脳力がないんだろうな…残念ながら。

 

今日は何ヶ月かぶりに会社でびっくりした。職能って本当に狭いね。自分の専門外のところって、偉くなっても何にも知らないんだ。そう思うと、ゼネラリストも知識欲的側面からは面白いのかも。知識に貴賎なし。