大多数の日本人的良心において、絵空事は悪事である。企画なら話を聞いてもらえるかもしれない。R&Dと英語で言うと納得してもらえる。だますのめんどくさい。
そして、それを土日にしか思いつかない自分がいる。昨日も製品の見せ方についてこれはという方法を思いついたが、今の会社の方針だとこのタイミングで仕事、ましてや業務と直接結び付かない提案をする作業ができない。
案件ベースとは、R&Dよりさらにちんまい世界の話である。成功したら戦略と呼ばれるが、失敗したら絵空事と呼ばれる世界とは対極になる。
要するに、案件ベースとは、成功しようが社会的な影響が(ほぼ)ない世界のことだ。死ぬ程つまらん、というのが、最近の心の死を招く蝕み。…人種が違うので仕方ないなあと。
サービス、サービスって最近五月蝿く感じる。サービスしよう、ではサービスのアイデアは生まれないんじゃないかと。だから思考の袋小路になる気がする。既存のサービス自体を最適化していくことと、新しいサービスを生み出すことは違うよね。サービスと聞くと前者の作業にばっかり励んでしまう。
新しいサービスを作る、ということ自体がヨクワカラナイ。新しいアイデアやテクノロジが最初にあって、それを他の人が使ったことで初めてサービスが成立する、というケースと、他の人がXXしたい、と言ってそれを解決してあげることでサービスが成立するというケースがあると思うが、
前者は最初は遊びじゃん、で結局提供できないし、後者は他の人が何もいわない限り何も起こらないのでつまり何もリソースを割り当てられないわけだよね。どっちのルートで行っても、遊び場でしかサービスは生まれないと思うが。
つまりサービスが生まれるときって、誰かお金にならないことをしている状態にあるはずなんじゃあ。
したがってサービスに注力する、ということは、遊んでいる時間を作ってください、ということで、サービスにまじめな企業には研究所というお金にならないことを真剣にやっている集団があることになるのかな。なんか間違ってる??
USの先進ユーザーの要望で機能Aが実装される→日本でリリース→日本のユーザー全員が削除要求をする→機能Aを殺す→2~3年後に日本でも流行る→突然日本のユーザー全員が機能Aがないと文句を言う、というパターンが見られることがあります。
どのタイミングで日本で急激に要望されだすかを予想できるかというと、できない。国ごとに、あるいはセグメントごとに、すごく盛り上がったり、まったく盛り上がらなかったりする。中国・韓国と比べても日本の要求は違うし、日本国内でもあっちの部署とこっちの部署で真逆の要望が結構ある。
改善するのは、改悪ではないという証拠がないと難しい。いちいち証拠書類を作るの面倒だよ。コマツの失敗例もあるし。しかし、熟慮の跡がなければないで思いつきだろ、と言われる。そう思われてしまったら、絶対何も良くならない。
結果、思いつきを乱発することになったりして、良くならない真因が多分に心理面にあったりすることが分からなかったりする。かもしれない。
日々の多少の感情的な衝突に目をつぶったり、心理的葛藤を乗り越えたりするには共通の行動原理が必要かもしれん。アプローチが各人で異なっていても互いを理解しやすくなる。今は難しくてヨクワカラナイ。最悪一人ずつ定義しないといけないから大変。
2-3年前思ったことで、思い出したこと:投資家向けとお客様向けと社員向けに同じ用語を使って説明すると要らぬ反感を買う
2-3年前思ったことで、思い出したこと:コアコンピタンスという用語を使わないで説明して、ってお願いしたが真意を理解していただけなかった件。
コアコンピタンス=何を引っこ抜くと全体が崩れてしまうか。それがコアコンピタンス。一番の稼ぎ頭とは異なる。稼ぎ頭を中心に全体を再構築しようというなら分かるが、そういう文脈ではなかった。
XXX(会社名)終わったな、と言われるのって、コアコンピタンスにあたる事業から撤退したとき。戦略的再構築となっているかどうかは、外野からは分からないし、そもそも中の人もそれが成功するかどうかも自信がないのではないか。