RKの日記: MIRACLE LINUX V2.1 Standard EditionのLevel2サポート、本日で終了

日記 by RK 

もともとRedhat Linux 7.1ベースからスタートし、最終的にはRedhat Enterprise Linux 2.1の機能をほぼ採り入れた、MIRACLE LINUX V2.1 Standard EditionのL2サポート期間が、本日をもってLevel2サポート終了となりました。

RHEL2.1に遅れること7ヶ月、独自にセキュリティアップデートのメンテナンスも続けていましたが、それも本日出したxemacs-sumoでおしまいです。

今後は延長サポートで一部のお客様には引き続きサポートを続けて行きます。

とはいえ、今日は仕事納め。ML21の開発サーバーであったmiclasも火を落とします。
miclas、お疲れさま。

 

RKの日記: オープンソースソフトとプロプライエタリソフトは混ぜて使わないといけないという発想の大転換を個人的に経験したので報告

日記 by RK 

ふたたび blogger より転載。

私の記憶力は人と比べてかなり適当なので、間違っていたら申し訳ない。
思い返すに、JLS2009の上田さんのセッションでは、自分にとって画期的な1枚のスライドと説明があった。

一つの製品を出すときに、昔は、内容はあまり気にする必要のない些細な部分と、自社のユニークな部分とで構成されていた。が、今日は、あまり気にする必要のない些細な部分と、自社のユニークな部分以外に、製品を構成するのに重要だがユニークになりえない部分があるというのだ。

自分が思うに、市場の要求として、例えばTCP/IPが使えることは多くの製品に強制されつつある。製品は複雑化する一方で、強制されつつある部分も増える一方だ。こういうところは、製品に関わるどの層もあまり関心がない。技術者にしろ、消費者にしろ、そうだ。したがって、経営者としてはここにはOSSを使いコストを削減するのが重要ということになる。

上田さんはCEの方だが、これは自分(ディストリ屋)にもぴったり当てはまる。
自分の現状に言い替えると、オープンソースものとプロプライエタリものを混ぜることや、もっと言うと人のビルドした物と自分がビルドしたものを混ぜることに対して微妙な違和感があったのに対して、混ぜたものを製品とするのは普通で「正しい」ことである、という主張となる。
製品のウリとは何か、そこの部分と、一般にディストリに望まれている部分を分けて考え、一般のディストリが持っている部分はディストリ屋では開発しないというようなアプローチが考えられるべきだと思う。

これをパクりだと思ってしまうと、誰も幸せになれないのだが、如何。私はこの壁を越えられるだろうか。

(他人のバイナリをそのまんま使うことに関しては、以前問題があると聞いたことがあるので、必要なら調べてみることに。)

 

RKの日記: 顧客視点とか散々言われて考えていくとどうやら要らない技術系社員のようだと気がついたときにどうすればいいか

日記 by RK 

Bloggerより転載。どっちをメインにすべきか考え中。

最近ビジネス書を読まなくなったのは、どうもこんな結論になりそうで恐いから、のようだ。
会社は世の中の要請にしたがって変わっていけるが、社員はなかなか変われないことがある。
個人の方針転換とは、法人に比べればずっとドラスティックなものを要求されるように思う。

カーネル読書会が100回を迎えるにあたって、日本のLinuxの現状についてだらだらと考えてみた。
結論としては、専業会社は微妙だが、兼業会社はそれなりに元気、ということだ。

例えば、全く受け入れられていないと言われるデスクトップでも、Netwalkerのようなものが出てきているし、最近はコスト削減の圧力と慣れ親しんだ環境とのバランスがよりコストの方に振れるようになってきていて、ビジネスモデルによってはLinuxデスクトップにはチャンスだと思う。

エンタープライズ分野においては、Linuxはもはや当たり前に使われていて、日本のSIer、あるいはWebベースのシステムの大半にはLinuxが関わっていると考えて間違いないと思う。

そして、組込み分野では、元々強い日本勢は世界に先駆けて積極的にLinuxを導入してきているように見える。今買おうとしているAV家電にしてもLinux搭載が普通に見かけられる。

このように、Linuxを使っているところは順調に増えている。なのにダメダメ感が漂っているのは、上記プレーヤーは全て兼業でLinuxも手を出しているところであるのに対し、前衛を担うべきLinuxの看板を持っているところが元気がないからだ。

最も、ワールドワイドにおいてもLinuxの看板を持っていて成功しているのはRedhatだけ、Canonicalも黒字にはなった、という状態であることにも気がついているのではあるが。
そのRedhatにしても、大分前に本社を移転していて、本社ではJBOSSの事業がメインでやっている。恐らくそろそろRHELも頭打ちと考えていて、仮想化という新たな成長曲線を設定したり、JBOSSなど育て甲斐のある分野を見繕っているように見える。
まだまだLinuxのRedhatではあるが、RHEL5さらに6とトーンダウンしているので、2-3年後には(JBOSSと)仮想化のRedhatになっているかもしれない。

某社においては、現在非常に有望なLinuxビジネスがスタートしているように見える。他の兼業会社の持つようなものをさらに強力にしたようなビジネスモデルであるので、それ自体は喜ばしい。恐らく、来年、再来年と増収増益の成長曲線は間違いない。(また降水確率10%で雨が降るようなことがなければだが。)

問題は、それには私が必要ないということだ。ええ、冒頭に戻りますが、私の問題であります。

今私は「なんでもできます」という名前の何もできないに等しい。なにせキャリアがほぼLinuxディストリ屋しかないのだから。Linux + コンサルだったらLinux兼業のコンサル屋は沢山あるし、Linux + サポートでもLinux兼業のSIerやメーカーは今後もっと出てくると思う。ましてやkernel屋であれば引っ張りだこ。
でもLinuxディストリ屋は日本の椅子はここしかない感じで、世界でもほとんどない。

そういうわけで、このエントリを書いてからあんまり進歩していないのでした。まだまだ悶々とした検討と模索の日々は続きます。

 

RKの日記: Linuxディストリ屋の日常 (Life with Linux distribution development)

日記 by RK 

Linuxディストリ屋をやって11年とゆー、どうしようもないLinux馬鹿のライフログです。英語を付けたのは気分です。(A life log about a 11 years linux distribution crazy lives in Japan as a linux distribution developer.)

http://linuxdistrolife.blogspot.com/

各所に散らばっていたBlogやらを集約した。今は過去の変なログしかない。リンクのおしらせまで。

 

RKの日記: 発掘;理想的なシステム

日記 by RK 

最近古いMacから昔書いた書類を掻き出しては眺めている。
2001年3月20日のテキストファイルには、こう書いてあった;

o システムだけのお決まり事世界に頼らない

o 起動・終了時間が短いか、概念がない

o ユーザーの概念をシステムに持たせない(そのコンピュータは本人のツール)
持たせると、仮想概念を数多く導入することになる。

o 仮想デバイスの概念を使用しない。実際のrawデバイスをシステムが用意する。そのデバイスをどの様に利用するかは、rawデバイスを利用した機能として実装する。(ややオブジェクト指向の継承的な概念。高レベル関数は低レベル関数を利用して実装するが、同時に低レベル関数も利用できる?)

 

RKの日記: 空と風景と夏のレールと

日記 by RK 

今年の夏休みは金曜日まで神戸に行ってました。
月曜日に行った夜から、激しい熱でぶっ倒れました。が、ホテルから徒歩1分のところに内科があることが分かり、火曜日朝に抗生物質をもらえたので、水曜日からはなんとか動けるようになりました。(火曜日に診察したときに初めて熱を計ったら、朝なのに38.0度もあってびびった)
それでも調子はよくないので、予定していた夜の英語の勉強やらも全部キャンセルし、ぶらぶらと鉄道旅行していました。これが主目的だったのです。

近年まれにみる程、まめに乗り回し。乗車した駅が東(だと思う)のものから並べると…:
– おおさか東線:N40改造201系 (久宝寺(きゅうほうじ)→放出)
– 学園都市線〜東西線〜福知山線:207系1000番台および2000番台(?) (放出(はなてん)→宝塚→三田)
– 大阪環状線:N40改造103系 (鶴橋→京橋)
– 中之島線:5000系、ラッシュ時のみ5扉なイモいやつ (京橋→中之島→大江橋)
– 関西本線:221系 (天王寺→久宝寺)
– 御堂筋線:10系 (淀屋橋→天王寺)
– 三田線〜有馬線:1500系→3000系 (三田→有馬口→有馬)
– 有馬線:5000系、たしか5001編成 (有馬→有馬口→新開地)
※別途 鈴蘭台→谷上も5000系で区間乗車
– 北神急行〜山手線:形式不明、7000でなかったのは確か (谷上→三ノ宮)
※実際はこれ以外にも何度かこの中の区間を乗っている
– ポートライナー: 2000系 (全線)
– 東海道本線〜和田岬線:207系1000番台、和田岬線専用6両編成 103系 (三ノ宮→兵庫→和田岬)
※実際はこれ以外にも何度かこの中の区間を乗っている
– 東海道本線:223系 番台不明 (三ノ宮→加古川)
– 阪神本線〜なんば線〜近鉄奈良線:1000系 (阪神三宮→鶴橋)
– 神戸高速:形式不明 (新開地→阪急三宮)
– 神戸高速〜阪神本線:形式不明 (新開地→阪神元町)
– 北条鉄道:フラワ2000、2000-1編成 (粟生〜北条町)
– 粟生線:1100系 (粟生→鈴蘭台)
– 加古川線:N40改造103系 (加古川→粟生)
– 海岸線:5000系 (和田岬→三ノ宮・花時計前)
※実際はこれ以外にも何度かこの中の区間で乗っている

プチ感想:
– 調べたら、結構レアな編成に乗っていた:) 神戸1501とか5001とか…207は、どっかでチャイム音がする編成も乗っているはずだが憶えてない。加古川125やらは、将来粟生から先を乗るときに乗れればいいなあ:)
– 大阪は、暫く行っていないうちに、運行系統が迷路になってました。(鶴橋の内回りで関空快速の関西空港行きに出会って15秒ぐらい考えてしまった。)
– 関西の女性専用車、すごいトラップなんですけど。3-4回、列車到着してから気がついた。(7両編成の4号車とか…乗り慣れていない人が必ずくる位置です 🙂
– 粟生線、実に良い。が、鈴蘭台駅西口と、鈴蘭台西口駅と、西鈴蘭台駅が存在するのはなんとかしてやれ>神戸電鉄

そこで、気がついたのですが、空と風景を鉄道の車窓から見ることは、心の健康維持にとても良いです。今度から、日の出ているうちの地下鉄以外では外をぼーっと見るようにします。

 

RKの日記: 最新CygwinとandLinux

日記 by RK 

しばらく離れていたら、Cygwinが面白いことになっていますね。

次のCygwinは1.7(つてで聞いたところ、2.0かも)で、IPv6やUTF-8をサポートします。
http://www.cygwin.com/#beta-test
個人的にはauxという名前のファイルが作れるようになったのがちょっとうれしい。tarで開いたときに困ったこと多数 🙂

ただ、Oki SoftwareのUTF-8 Cygwinのほうが、UTF-8そのものは使い勝手がよいそうで。
UTF-8 Cygwin: http://www.okisoft.co.jp/esc/utf8-cygwin/

あとcoLinuxをベースにしたUbuntuである、andLinuxがいいですね。
http://www.andlinux.org/

 

RKの日記: オラクルの連結を外れて。

日記 by RK 

http://www.miraclelinux.com/corp/about/profile.html
えーと、いつだっけな、最近連結を外れました。
ようやく、これで、現社長が去年の7月に考えていたことを大体実現したことになります。

 

RKの日記: SSRIを含む薬 (パキシル等) 服用者の攻撃性はどこからくるのか

日記 by RK 

今週のアエラに気になる記事がありました。

パキシル、実は、以前は飲んでいました。今は一切の抗鬱剤を服用していません。悩める自分もいかにも自分らしいと思っています。何事にも限度というものがありますが。(今週はのんびりしよう>自分)

一部で「パルプンテ」扱いされているパキシルですが、その前後の感覚からすると、、、攻撃性はパキシルのせいとは言いがたいところがあります。

パキシルとはどのような薬か、と言えば「あんまり物事を考えないようにする」薬だ、と言われました。
実際、パキシルを飲むと、あまり物事を考えたりしなくなります。私はパラレル型思考(この話はまたそのうちしたいと思うのですが、また今度)の人間で、目の前で何かをやっているときも、無意識と意識の狭間で他のことを常に思考しているのですが、パキシルを飲むとその裏側のスレッドがぷつっと切れて動かなくなります。何か頭の中で言葉を紡いで論理を組み立てようとしても真っ白でなにもできない感じです。(特に服用開始当時)

昔、PCを2-3台動かして並行作業するのが普通だった時に、どうしても疲れたら1台電源を落としてしまうと気が楽になるということがあったのを覚えています。これと同じで、脳というCPUへの負荷をスレッドを2-3本ぶち切ることで強制的に下げてしまうようなところがパキシルにはあると思います。それによって、症状を軽減させるわけですね。

「SSRIの長期投与は、恐怖や不安、脅迫、衝動性や攻撃性などの情報コントロールに持続的かつ強力な変化を及ぼす」(同誌が引用している論文より)

まー、俺は鬱病なんだから、それでいいんだ、と思っているうちは頭がへなっていても平気なんです。日に日に心が落ち着いて、症状は良くなっていく。私は回りの全てに薬飲んでいるんでよろしく〜という感じであけっぴろげに振る舞っていて、回復に専念することが正しいから複雑なことは徹底してやらないでいました。

ところが、もう十分、というところまで活動的に戻る(1年半ぐらい経ったころかな?)と、今度は頭の馬鹿さ加減が気になってくる。事前に考えをめぐらして保持したり、適切に切り返したりができないので、以前と同じように議論ができないわけです。
言い替えると、無意識と意識の狭間でもっているべき、多数の情報の引き出しが錆びついていて動かない、あるいは非常に動きが鈍いので、調子が狂ってしまいます。

そうすれば…お分かりですよね。もっと意気消沈するか、いらいらが募るしかないわけです。

そんなこんなで、私は徐々に薬を減らし、ある長期連休以降、薬を断っています。この「反転」は、専門医といえどもよく対処がわからないみたいです。減らしたり増やしたりする例が多いみたいですが。よく、医者に無断で薬を断っちゃいけないと言われますが、無断で薬を断つ人の気持ちがよくわかります。でも、私は言いたい、医者に薬を断つことを説明できるだけの気概が戻らない限り、薬を断っちゃいけません。まあ、俺基準ではありますけれども、説明できて、医者に薬を切ることをお願いできるぐらいの気迫が溜っていなければ、多分直りかたが十分ではありません。そうでしょ?

で、今はと言えば、薬を飲んでいたときよりも攻撃的です。なぜかって?それは本来の自分がこういう性格だからです(笑)

今、一番困っていることといえば、あまりにも長い間(2年以上?)闘病していたため、本来の自分がどうであったかよくわからないことです。無意識層と意識層の境目あたりがパーでんねん。そのため、昔からの知人にたくさん会って、思い出そうとしています。
本来の自分がどうであったか、一つ一つ思い出しています。思い出すことがまるで新しい発見のように楽しい毎日です。
この妙な文章の書き方も、少しずつ取り戻した結果だと思っています。まだ当時のように韻を踏んだ文章にはできませんが。

悩める自分も、攻撃的な自分も、本来の自分。
パキシルとは無関係。

そんなわけで、パキシルのせいにしないで、自分で自分をコントロールしようね、という話(?)でした。

 

RKの日記: 主要な「パーソナルコンピューティング」デバイス(のべ数)の認識

日記 by RK 

こんぐらいだろうか?何か忘れているかもしれないけど、思い出したら付け足そう。

Group name: PC 20%
CPU: x86 compatible 100%
Kernel: Windows 80% (include pirates)
Kernel: Linux/*BSD 15% (include free edition)
Kernel: Mac OS X 5%
Group name: 携帯電話 70%
CPU: ARM compatible 95%
Kernel: Linux/*BSD
Kernel: Symbian
Kernel: Windows Mobile
Kernel: (Other OS)
CPU: others 5%
Group name: Game console 5%
CPU: ARM compatible
Kernel: (Other OS) 100%
CPU: POWER compatible
Kernel: Windows CE
Kernel: (Other OS)
CPU: MIPS compatible
Kernel: (Other OS)
Group name: (Other CE) 5%

私なりの「パーソナルコンピューティング」デバイスの基準:
素のNintendo DSは「パーソナルコンピューティング」デバイスではない。
Nintendo DSiはぎりぎり「パーソナルコンピューティング」デバイス。

 

RKの日記: 半端なワールドワイドか、半端なローカルか

日記 by RK 

先日の日記では何人かの方にスラドあるいは電子メールでお返事をいただきました。大変ありがとうございます。

ひとつだけ。

私の経歴とか、社会人としての経験から、世の中の人の取り組みにはどうしても濃淡が出ると考えています。濃淡とは、以下のようなものです。

  • 地方都市にいたので見えてくること。東京の会社は不況になると支店を畳んで出ていってしまいます。各店の収益に基づき公平に人数を削るというより、本店に機能を集中して効率をあげ、地方は出張でなんとかするという思考が先に来ているのだと思います。
  • 上記はワールドワイドでも言えて、本国の収益性を維持するために、他国から人材を持ってくるということをします。エンジニアを米国に集めて、日本は営業だけという企業もありますね。

ですが、それが悪いこととは思えません。

私も技術に国境はないという考えですし、Linuxはその最たるものだと思います。だれもLinuxは米国製だと思っていません。

ですが、やっぱり人によって、会社によって、愛着のある国、愛着ある地域というのはあると思います。
多くの人がワールドワイドを是としていても、実際は「半端なワールドワイド」になっており、ローカルを指向しているところも、実際は「半端なローカル」になっているんだと思います。

例えば、トヨタは半端なワールドワイドであり、ミラクル・リナックスは半端なローカルです。

その考えに基づくと、例えばMSも米国に愛着のある会社だと思います。Appleなどは「日本は第2に重要な国」という言い方を良くしていました。これは米国は特別であるという意識の表れだと思います。

それが屈辱とか言うわけではなく、そんなものなんだと思います。でも、その不公平という実際を結構な数の日本人は意識しないようにしたいと思っていると、私は感じています。

ひるがえって、私が目的としているのは、私を含めた日本のユーザーがパーソナルコンピューティング環境にコントロール権を持つことで、自分の生活を豊かにすることではないので、米国に愛着がある企業に協力することには幸せを感じません。

…という前提で、いろいろといただいた情報を元に実践していきたいと思います。

 

RKの日記: Linux馬鹿、11年目のやりきれない想い

日記 by RK 

先日、部署名もグループ名も肩書きも変わってしまったので名刺を作りなおした。
その時、名刺の作りなおしについて同僚(歩いて一番遠いグループのシニアマネージャ)と雑談したところ、「何か他に入れてもらえば?」とアドバイスをされたので、何を入れようかと思いを巡らし、結局以下のような俺肩書を付け加えてもらった。

Linux商用開発&配布11周年(※1)

創業から10年経っていない会社の名詞(※2)にこんな文句を入れたら怒られるかなと思ったのだが、すんなりとできあがった。まぁ、会社自体の歴史を少なくとも11年以上と誤解するケースがあるかもしれず、都合の悪い俺肩書ではないと思う。しかも、誤解といってもひどい誤解ではない。実際ここに11年以上商用Linuxディストリビューションを作っている人間がいるわけで、そういう人が作っているLinuxディストリビューションが出回っているのだから。

※1 ここでいう「Linux商用開発」とは「Linuxディストリビューション商用開発」の省略系。名刺の文字数制限で正確に書けなかった。「狭義のLinux」の商用開発専門組織というのは世の中に存在しないので、意地の悪い人以外は許していただけるだろうと思う。

※2 その直後、会社の名刺にCentOS & ZABBIXシールを貼るのが突然流行り出した。ひょっとしたら私の行動が何かのきっかけになったかもしれないので、その点は良かったかもしれない。ちなみに、シールの最初のリビジョンにはCentとOSの間に空白があるというバグが存在した(CentOSはセントスと読むのが本場流で、セント・オーエスはリナックスと同じく和製語であるから、少なくとも空白が入らないのが正しい)が、次のリビジョンで直すそうである。

11年、あっというまに過ぎた気がする。

最初の商用Linux開発は、私が大学生のときだった。
その時、私はMacユーザー、というかMac信者だった。
私の世代くらいまでのMacユーザーは、MSの収奪でAppleという楽園を放逐された経験を持つ。もしそうならなかったら、UNIXなんていうものに元Mac信者がしがみつく理由なんてなかったのである。MS憎さで泣く泣くコマンドラインを覚えざるをえなかった、ほわほわとした出身のアンチCUIなLinuxユーザーが私であった。(まぁそれ以外にもUNIX使いになるべき、当時の技術的な理由はあったのだが、ここでは心理的な理由についてフォーカスするため割愛する。)

今だから分かるが、アンチCUI派というのはまずそれ以前に英語嫌いである。CUIを使う時、私は英語と同じ脳の部位を使っている、と感じる。無論CUIかGUIかの議論はあるのであるが、非英語圏人は、二重の障壁があると思った方がいい。だから日本においては、CUIかGUIかではなくコマンド(CLI)是か非かという議論になりやすい。そして二重の障壁があるコマンドが数で優勢になることは決して、ない。かな漢字変換というCUIを深化させる可能性を持ったソフトウェアを持っている歴史があるのにである。
少なくとも私にとって、英語はコンプレックスであった。大学受験では、所謂文系3科目受験で、地理と国語は偏差値が70を超えたこともあったのに、英語は50代であったため、真っ当な大学を受験することに苦労し、実際に行った学部は2流大学3流学部4流学科といったところであった。(今は存在しない学科なので、4流で正しい認識だと思う。)

そんな私がLinux業界に入り今まで11年も仕事として続けられたのは「自らのパーソナルコンピューティング環境を主体的に決めないと、いつまでも不幸は繰り返す」という考えから発した、「その国のパソコンOS(やソフトウェア)はその国の人が開発したものを有力な選択肢として持つべきだ」という主張だったと思う。それによりユーザーが主役になれるということ。
Linuxがメジャーデビューしたとき、ああ、これで日本にも日本人によるパソコンOSを展開できるんじゃないか、そう思ったのである。私はB-TRONの悲哀を感じた世代ではないが、なにかしらのパワーバランスの変革が起こるのではないかと期待し、それに対してLinuxディストリビューションの開発と配布に協力することで、日本人が生き生きと使える幸せなPC環境ができると夢想したことがあったと思う。今いる会社についても、日本と世界のバランスを考えて正しいと思ったから参加したと思っているし、日本だけでなく、韓国、中国のエンジニアも同じような危機感を持っているだけに共感を持ちやすいと思う。

だが、11年後、日本において、現実はまったくそうはなっていない。

MSのAlternativeとして日本人が選んだのは、北米のOS「だけ」であった。公表されているデータによると、日本のRedhatはLinuxOSの分野において圧倒的な金額シェアであり、他は1/10程度であるから、対抗馬どころか比較対象にならない。

会社で使われるソフトウェア、特にOSは実績がものを言う。提供側の論理からすれば真面目に手を動かした数の積み重ねがシェアに反映されるのが正しいと思う。だが、例えば使ってみれば明らかにRedhatより頑張っていると見えるSUSEがTurboにすら届いていないのは釈然としない。百歩譲って1位Red、2位SUSE、3位Turboとかなら理解できるが、日本では実質2位以下は存在しない。

無論、Redhatが支持されるべき正当な理由はありすぎるほどある。それにMSとRedhatを比べればRedhatの規模は1/10ではすまないほど小さい。しかし、日本において他を興隆させなければならない理由を全く聞こえてこないのは何故だろう。
加えてRedhatの作るOSは、やっぱり日本人を幸せにするためのMSへのAlternativeにはなりえない。Fedoraの開発を覗くとアクティブな日本人は3人しかいないし、Redhatの人材募集欄を見るとi18nエンジニアしか募集がないのである。OSのベーシックな仕様部分に、日本人が係わっている風景は見られない。
私の脳裏に浮かぶのは、北米で作られたPC OSをインストールして日本人に提供する日本ベンダーの姿である。これはMSの図式と同じだ。人が生きる衝動は、感情によって作られ、理論によって正当化されると私は考える。しかるに、これらの日本ベンダーの人々は現状を面白いと思っているのであろうか。

それとも、11年、私はひたすら誤った道を通ってきたのだろうか。

社会人一年目では、Windows開発の環境の良さに本当に感動し「ああ、これがWindowsの本当の強さだ」と思いつつも、本当にWindowsへの嫌悪だけで会社を辞めてしまった。本当に生理的にWindowsはダメなんだとは知らなかったので、素直に自分に驚いた。
次に移ったLinuxだけやらせてもらえる会社は3ヶ月で潰れた。後で調べてみると、この時期に潰れた、あるいは危機説が流れたLinuxの会社は実に多いのだが、それどころではなかった。この時、製品を買ってもらうためには毎日終バスまでキーボードを叩いて幸せに浸っていたのではダメだと思い知った。最初に給料が出なかったとき、マーケティングなどLinuxディストリビューションをユーザーに届ける過程も勉強し始めたが、勿論救いようがなかった。このことは次の会社の時に少し役だった。少なくとも一時的な会社の資金繰りの危機(※3)を救うヒット商品を企画するのに貢献できたと思う。しかし、Linuxは売れなかったので、Windowsの商品を開発する部署に異動(半ば左遷)されてしまった。
ああ、それでは私は会社を移らなくてはならない。そういう理由で転勤を検討しはじめた。この間も、ずっとLinux商品を売るための勉強はしていて、Windows商品にその手法を適用するとそれなりに効果があることも分かった。寝袋を借りてでもLinux商品を熱心に開発すると平均以下の考課で、他人が開発したWindows商品の企画管理を「処理する」と昇格・昇給になるという、皮肉な結果になった。私が転勤する前後に会社の製品プロデュース担当執行役員が辞めたのだが、その後釜が私の予定だったと聞いた。とんでもない(※4)、これはLinuxのために身につけたものだ。と、その時は思ったので後悔しなかった。

(※3) 今ではその会社は寿命を終え他の会社に吸収合併されたが、当時の元幹部の方は元社員の人と独立して零細会社をいくつも興している。社長の資金繰りの才能は私があった人のうち今でも最高で、当時絶対潰れないと思ったから、たぶんやる気かやる意義をなくしたんだと思う。小さな会社は資金繰りだけで潰れるわけではないということ。

(※4) もう一つのとんでもない、はその元執行役員の人の才能のゆたかさで、机上勉強の私が及ぶべくもありません。今でもときどき会いにいく、私の師匠の一人です。

そして、今の会社。
正直言って、今までに比べれば雲泥の差だと思う。まず、Windowsの方が儲かるからWindowsを扱え、と言われることがない。次に、営業がLinux関連以外のものを売ろうと思わない。これだけでも大変にありがたい。勿論今までとはレベルの違うエンジニアが揃っている点も見逃せない長所。MS出の人が不満を漏らさないような、技術レベルの高さも維持できている。良いサポートのおかげで、お客様からも高い評価を得ている。

だけれども、私の「良いAlternativeを作る」という目標にはまったく進展がなかった、というか遠くなったかもしれない。私は幸せではない。

そして技術以外の勉強を通してついに分かってきたことがある。MSにしろ、そしてRedhatにしろ悪役ではなく、どちらかというと、ほとんどの日本のベンダーはお金が儲からないサイクルに入っていて自滅気味であること。当時のAppleは自滅しかかっていたのだが、それを統制できる者が復帰しただけで問題は解決したのだ。
そしてLinuxディストリビューションは小さな会社が新規参入してはいけないカテゴリーに属していること。なぜなら、新規参入してはならない理由が「ユーザーが成長すると、全くお金を払わなくなるから」だ。実際そうなってきているのである。

そう、まさに今起こっていることは教科書通りのことであってなんら新奇性はない。Dellが勝手に自分でUbuntuをサポートすることも、ほとんどのデータセンターがCentOSを並べることも、全く教科書通りに行われていることであったりする。ビル・ゲイツが引退し、MSがLinuxを完全につぶすことはついに叶わずとなった今日、Linux自体がなくなることはないし、今後はLinuxの普及はOSベンダーがやる必要がなく、成長したかつてのユーザーにより勝手に行われていくということも明らかになった。多くのLinux開拓者にとって、夢の世界へ一歩進んだことになろう。

しかしたぶん、なかには私と同じような考えを持つ人もいるに違いない。「…で、俺はどうやって生きていけばいいんだ?」

今日、Linuxを使う職種は多岐にわたっているし、昔のようにWindowsを強制されることも減っていると思う。しかし、私のようにユーザーが主役のOSにしていきたいから自らエンジニア役になったという人は「Linuxを使える」というのは必要ではあるが十分ではない。

当初の「Appleをどうして生かしておいてくれないんだMS」という叫びは、遠いものとなった。
しかし、自分にとっての問題は解決していない。

一エンジニアとしての生き方を破棄し、自ら目標のために全てをリーディングするか。
それとも目標というものは破棄して、Linux OS エンジニアリングに固執するか。
いっそのことユーザーがお金を恒常的に払ってくれる分野にシフトするというのもアリかもしれない。

日本に居つづけることか、目標か、エンジニアか、何かしら捨てなければいけないのだろうか。

Linux知合いの半導体屋さんが、「次があるとすれば職場は日本にはない」と言っていた。彼の現在の会社は順調であり、私も彼と同じで今すぐどうということはない。ただ「このままでは何もない春秋を終わる」と思うばかりである。

ちなみに、件の名刺だが、裏の英語表記にはこう書いてある:

11 years commercial distributing & developing for Linux

 

RKの日記: インテルAtomプロセッサに対応したEmbedded MIRACLE

日記 by RK 

Intel Atom向けです。

http://www.miraclelinux.com/corp/pressroom/details/2009/0216_1.html

現在起動時間10秒ちょい、とのこと。

とはいえ、実際の引き合いとしては日本は組込みばかりで、OSキットを商品としてコンシューマーに届けられないケースがほとんどです。
というか、どうやってWindowsは独立商品たりえたか考えるに、第一に独立商品にしたいいう強い思いがあったらからだと思う。ほとんどの日本人にはそれがない。それがなければ何も変わらないんだと思うなぁ、OSに限らずソフトウェア業界に言えることだが。

ちなみに、Asianux Mobileという名称はEmbedded MIRACLEのMID向けに使われるみたいです。Embedded MIRACLEのほうが広範に使われるようです。中韓ではMIDばっかりで、日本では組込みばっかりでものは同じだが戦略がかみ合わないんだそうな。

 

RKの日記: ミラクル・リナックス、CentOSのサポートを開始

日記 by RK 

http://www.miraclelinux.com/service/support/cent_os.html

社内と社外の反応が全然違う。
実は、パンドラの箱かなぁ…

まあ、個人的にはLinuxの普及に貢献できて、飯も食えるなら幸せです。

最近はWindows Serverを打倒しつつあるという噂の(?)CentOSとなれば、なおさら溜飲が下がるというものです。私は関わっていないのですがね。